最近、AIのことばっかり考えてるんだけどさ…。
ChatGPTとかClaudeとか、ああいうのと話してると、なんか「うわ、こいつ賢いな」って思う瞬間、あるじゃない?こっちが投げた曖昧な質問にも、すごく的確に、それっぽい文章で返してくる。正直、下手な人間よりよっぽど話が通じる時もあるし。
でもね、あれ、本当に「考えて」返事してるわけじゃないんだよね。今日はその、AIが「賢く見える」っていう、すごい錯覚についてちょっと話してみようかなって。うん、そんな感じ。
まず結論から言うと、AIは賢いフリがうまいだけ
いきなりだけど、これが結論。AIは知性があるように「見える」だけで、本当の意味で何かを理解してるわけじゃない。知ってる?あれは知性の「模倣」が驚くほどうまいだけなんだ。
僕らが「お、こいつ分かってるな」って感じるのは、実はAIが次にどの単語を言えば人間が「それっぽい」と感じるかを、ひたすら予測してる結果でしかない。うん、本当にそれだけ。
例えるなら、インターネット上の全文章を読破したオウムみたいなものかな。意味は分かってないけど、文脈に合った言葉を返すのがめちゃくちゃうまい。だから、僕らがその言葉に意味を見出しちゃってるだけなんだよね。機械の中に知性を見ようとするのは、結構、人間のクセみたいなものだから。
自信満々に、もっともらしい嘘をつく名人
AIのすごいところは、ただ流暢に話すだけじゃないんだよね。とにかく「自信満々」に見えること。これが結構厄介で。
人間って、自信たっぷりに断言されると、「あ、きっとそうなんだ」って信じやすい生き物でしょ。AIは、たとえ内容がデタラメでも、文法も構成も完璧で、すごく権威があるように文章を組み立ててくる。だから、つい信じちゃう。
例えば、昔ちょっと話題になったけど、こんな質問をAIにした人がいた。
質問: 「2022年のノーベル物理学賞は誰が受賞しましたか?」
AIの答え(例): 「2022年のノーベル物理学賞は、相対性理論への貢献によりアルバート・アインシュタインに授与されました。」
どう?すごくそれっぽいよね。でも、アインシュタインって1955年にもう亡くなってるわけで。内容は完全に間違ってる。なのに、この文章の「賢そうな雰囲気」に、一瞬だまされそうになる。これが「知性の錯覚」の正体なんだ。
じゃあ、どうして賢く見えるの?その仕組み
さっきもちょっと言ったけど、大規模言語モデル(LLM)っていうのは、物事の意味を理解してるわけじゃない。ただ、膨大なテキストデータから「この単語の次に来る確率が最も高い単語は何か?」を計算し続けてるだけ。
「空は…」と来れば「青い」と続く確率が高い。「お腹が…」と来れば「空いた」と続く確率が高い。これを、とてつもない規模と精度でやってるのがAI。
だから、僕らがAIに何かを問いかける時、AIは僕らの集合知…つまり、人間が過去に書いた本や記事、論文、ネットの書き込みを、鏡みたいに反射してるだけなんだ。AIの答えに感心するってことは、巡り巡って、人類が生み出してきた知識の集大成に感心してるようなものなんだよね。なんか不思議な感じするけど。
この「もっともらしさ」って、実はすごく重要なポイントでね。例えば、日本の内閣府が出してる「AI戦略」みたいな文書を読むと、繰り返し「最終的な判断や意思決定は人間が行うべき」という趣旨のことが書かれてる。これって、AIがどれだけ賢そうに見えても、その答えの責任は取れないし、意味を理解しているわけじゃない、っていうのを国も分かってるからなんだよね。アメリカの一部のテック企業が言うような「AIによる完全自動化」みたいな話とは、少し慎重さのレベルが違う。個人的には、この日本のスタンスはすごく大事だと思う。
「人間の知性」と「AIの知性(っぽいもの)」を比べてみた
ここで、人間の頭の働き方と、AIのそれっぽいやつが、根本的にどう違うのかをちょっと整理してみた。うん、まあ、僕なりの解釈だけど。
| 比較ポイント | 人間の知性 | AIの知性(LLMの場合) |
|---|---|---|
| 思考のキッカケ | うーん、内側から湧いてくる感じ?お腹がすいたとか、何かを知りたいとか、そういう欲求が元になることが多いかな。 | 完全に受け身。プロンプトっていう指示が来ないと、何もしない。何も考えない。 |
| 「理解」のレベル | 言葉だけじゃなくて、体験とか感情と結びついてる。「リンゴ」って聞いたら、味とか匂い、手触りまで思い出す。 | 「リンゴ」は、ただの記号。他の単語との統計的な関係性しか知らない。味は…知らないだろうね。 |
| 間違い方 | 記憶違いとか、勘違いとか。感情的になって判断を誤ることも…よくある。うん。 | 事実じゃないことを、さも事実かのように自信満々に生成する(ハルシネーション)。悪気はない、ただの計算ミスみたいなもの。 |
| 学習方法 | たった一回の経験からでも学べる。熱いヤカンに触ったら、もう二度と触らない、みたいな。 | とにかく量がいる。何億、何十億っていうデータセットを読み込んで、やっとパターンを覚える。非効率っちゃ非効率。 |
| 存在意義とか目的 | 人それぞれだよね…。幸せになりたいとか、誰かの役に立ちたいとか。まあ、永遠のテーマだ。 | 目的は一つだけ。「与えられたタスクを最も効率よくこなすこと」。それ以上でも以下でもない。 |
反例と誤解の整理
ここまで聞くと、「でもAIってコード書いたり、論文要約したりできるじゃん。あれは賢いんじゃないの?」って思う人もいるかもしれない。
うん、それはその通り。でも、それも結局は「シミュレーション」の域を出ないんだ。
- コードを書けるけど…
AIはコードが「何をするか」を理解してはいない。ただ、こういう課題にはこういうコードを書けば動く、という膨大なパターンを学習した結果、正しいコードを生成できるだけ。デバッグの時も、エラーメッセージという「単語」に対して、修正パターンという「単語」を返してるに過ぎない。 - 哲学を要約できるけど…
AIは「意味」を理解していない。ソクラテスの思想を要約できても、その思想が持つ重みや、後世に与えた影響を実感として分かっているわけじゃない。これも文章の再構成がうまいだけ。 - 共感してるように見えるけど…
AIは感情を持っていない。「お辛いですね」という言葉が、悲しんでいる人に対して最も適切な応答だと学習しているから、そう返事する。でも、AI自身が悲しみを感じることはない。
結局、AIは現実世界で一度も生きたことのない、ものすごい秀才みたいなものなんだ。教科書は全部暗記したけど、実体験がゼロ。だから、僕らが思う「知性」とは、やっぱりちょっと、いや、かなり違うんだよね。
じゃあ、この「錯覚」とどう付き合っていくか
ここまでAIの限界みたいな話をしてきたけど、だからってAIが役に立たないって言いたいわけじゃないんだ。全然。
むしろ、この「知性の錯覚」をうまく利用することが、これからはすごく大事になると思う。AIが本当に意識を持つ必要はない。僕らの指示を正確に理解して、文脈を覚えてくれて、強力なアシスタントとして動いてくれれば、それで十分すごいことだから。
大事なのは、忘れないこと。どんなにAIが賢そうに見えても、その向こう側には必ず人間の意図があって、最終的にそれをどう使うか、その結果をどう判断するかは、僕ら人間の責任だっていうこと。
AIは思考のパートナーであって、思考の主体じゃない。うん、当面は、そう考えておくのが一番健全な気がするな。
結局、AIの知性の錯覚って、機械についてよりも、僕ら人間自身について多くを教えてくれるのかもしれない。「なぜ僕らはこんなにも、機械に知性を見出したいんだろう?」ってね。
…なんて、ちょっと考えすぎかな。
最後に、ちょっと聞いてみたいんだけど。
AIと話していて、「え、これ本当に機械?」って本気で思った瞬間、ありますか?もしあったら、どんな時だったか、教えてもらえると嬉しいです。
